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一般相対論とリーマン幾何学の関係;座標系の視点から

 この記事で、ニュートン力学と特殊相対論における座標系概念の話をしたが、ニュートン力学も特殊相対論も、外部環境(詳しくは空間とはなにか)をユークリッド空間でモデル化していることは共通であった。

 

 しかし、一般相対論では、外部環境を非ユークリッド空間でモデル化する。これは要するに空間が平坦ではなく、曲がっていると考えることを意味する。(詳しくはリーマン幾何学で議論する。)

 

 我々が実際に座標系を設定するときは、空間が曲がっているとは考えない。つまり、普通、座標系は空間をユークリッド空間だと認識している観測者によって導入される。このことの意味を世界地図を例にして考えてみる。

 

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総務省統計局ホームページから転載)

 

 このように世界地図は一枚の紙に印刷されている。世界地図だけでしか世界全体を見たことのない人、つまり地球が球であると認識していない人は、世界地図上に何も考えずに直交座標を描くだろう。確かに、この直交座標系でも地球上の一点を指定することは可能である。つまり、地球が球だと認識していなくても、地球上に座標系を設定することは可能である。(今は説明を分かりやすくするために世界地図を使って座標系を設定したが、別に世界地図が与えられていなくても座標系を設定することはできる。)しかし、この座標系には1つ問題がある、それは距離がユークリッド距離で正しく与えられないということである。(我々は通常平面上にはユークリッド距離が定義されていると思っているので、これを「世界地図は距離が正しくない」と言ったりするのだが、本来、それは平面上にどんな距離(計量)を定めるかに依存する問題である。)

 実際、この世界地図上の二点間の距離は、その二点の直交座標についてピタゴラスの定理、つまりユークリッド距離を用いることでは得られない。なぜなら本当は地球は球であり「曲がって」いるからである。二点間の正しい距離は、球面の計量を用いなければ得られない。

 宇宙空間に座標系を導入するときもこれと同じことが起きている。ただし今度は次元が2でなく4である。我々は空間が平坦だと思って(直交)座標系を導入するのだが、世界地図上の座標系と同じように、二点間の距離はユークリッド距離では与えられない。より詳しく言うと、ユークリッド距離は座標差\( dx^1, \dots, dx^4 \)について

 

 \[ (dx^1)^2 + (dx^2)^2 + (dx^3)^2 + (dx^4)^2 \]

 

で与えられるが、時空の無限小近接した二点間の距離は一般に座標差の二次形式

 

\[ g_{ij} dx^i dx^j \]

 

で与えられる。

 

 問題は計量 \( g_{ij} \)を知る方法である。世界地図の場合は、地球を外側、つまり宇宙空間から眺めれば地球が球であると分かるので、計量としては球面の計量を考えれば良いモデルになると分かる。一方で、宇宙を外側から眺めて形を認識することは不可能である。一体どうやって計量を知ればよいのだろうか?

 空間とはなにかでも述べたように、それはアインシュタイン方程式によって与えられる。アインシュタイン方程式は物質と時空の計量の関係について述べた方程式であり、この方程式を基にすれば、空間の物質分布を知りさえすれば時空の計量\( g_{ij} \)を知ることができる

 

 計量を知った後は?

 一旦計量が与えられれば、物体の運動を計算することが可能となる。というのは、自由落下する、つまり重力の影響しか受けていない物体の運動は、時空内の測地線で与えられると仮定するからである。リーマン幾何学によれば測地線は計量が与えれれば具体的に計算ができる。

 このことは一般相対論の理論の本質的な立脚点について教えてくれている:重力はもはや「力」ではなく、空間が持つ幾何学的性質(計量)である。そして自由落下する物体は時空内を単に「まっすぐ」進んでいるにすぎない。

 

 一体どうして自由落下する物体の運動が測地線で与えられるのか? という疑問は当然ある。(今まで一般相対論の理論的構成についてだけ話してきたが、当然、それは誰か(アインシュタイン)が一から作り上げたものである。その辺りの発見法的議論は扱っていないし、扱う必要もそれほど感じない。というのは、一度誰かが結論を導いてしまえば、後はそれだけを拝借することで理論を理解することができるからである。)

 さて、自由落下と測地線を結びつけるという結果は、当然ある物理的な仮定から導かれるわけだが、それはアインシュタインが「生涯で最もすばらしい考え」と述べたという等価原理である。つまり、時空の各点の十分小さな近傍(正確に言えば無限小近傍)においては計量を平坦にする座標系が取れるという仮定である。

 この仮定を採用するならば、時空内のある十分小さな空間領域と、十分小さな時間幅を考えると重力の作用を打ち消す座標系が取れる。これは物理的には別に不思議なことではない。実際、高層ビルから飛び降りた人は自然と無重力座標系を選択することになる。

 りんごを高層ビルの屋上から落下させると同時に、自分も飛び降りたとしよう。するとその人からみるとりんごは「落ちていない」、つまり重力が作用していない。一方、屋上に留まったままの人から見ると、りんごは重力に引かれて落下してゆく。2つの見方はどちらも正しいのであって、違うのは二人の観測者が異なる座標系を選択しているということである。落下している観測者が選択しているのが、上で述べた重力が打ち消された、無重力座標系である。(しかし、なぜ自由落下している観測者の選択する座標系では、重力が打ち消されるのか。それは重力質量と慣性質量が一致するという実験事実から来るのだが、詳細はここでは述べない。)

 無重力座標系は十分小さな空間領域、また十分小さな時間幅で考えなければならないと述べたが、空間領域を小さく取らねばらないのはすぐに分かる。実際、座標系として地球全体を含むようなものを取ると、落下している観測者を考えても重力を座標系全体で打ち消すことは出来ない。実際、目の前の重力は消せても、地球の裏側の重力は消せていない。(というより、もっと強くなっている。)しかし残念なことに、時間幅を小さく取らねばらない理由を教えてくれる思考実験は今のところ筆者は思いつかない。

 

 さて、等価原理によれば、物体が重力の影響を受けて運動している時に(少なくとも局所的には)無重力座標系が導入できて、重力を打ち消すことができる。このような時空を平坦と見る座標系では議論を特殊相対論の場合に帰着させることができると仮定する。*1したがって重力の作用から開放されて運動する物体は、慣性の法則により、単に空間内を等速直線運動していると観測されるだろう。空間内を等速直線運動するというのは、つまり、時空内の測地線に沿って運動するということに他ならない。

 これは無重力座標系から見ての話であったが、他の任意の座標系をとっても物体が測地線に沿って運動するということは変わらない。なぜなら空間内のある曲線が測地線であるということは、その曲線をどの座標系で表現するかに依存しない言明であるからだ。(これはベクトル場の共変微分テンソルであることから来る。物体が測地線に沿って運動するというのは、速度ベクトルの共変微分が0ということであるが、共変微分テンソルなので、ある座標系(今の場合は無重力座標系)でこれが0だと分かればどんな座標系でも0となる。)したがって目標だった次の事実を得る:自由落下する物体は時空内の測地線に沿って運動する。

*1:これは仮定ではなく、他の仮定から導ける命題だろうか? 筆者にはまだ良く分かっていない。