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Dirac「量子力学」Chapter1

Dirac「量子力学」のChapter1を読んで、自分なりの解釈を加えてまとめを

作ってみました。

 

量子力学で本質的に記述されるような対象(つまりミクロな対象)は、我々の

観測によって状態がかき乱されてしまうようなものである。例えば電子という

対象を考えてみる。電子は粒子のようにも振る舞うし、また波のようにも振る

舞う。一体電子は粒子なのか波なのかという問題が議論された。電子について

は干渉という実験事実があるが、これは電子が波として振る舞う好例である。

電子が粒子だという意見もあるのだから、干渉を起こしている時電子がどうい

う軌道を描いているのかを知ろうと試みられたのは自然なことであろう。しか

しそのような実験、つまり電子の軌道を確定しようとする試みは失敗した。我々

はこのことを次のように解釈する:干渉実験の途中で電子の位置を確定する実

験=観測を行なうと、電子の運動状態はかき乱され、それによって干渉縞に影

響が出てしまう。これがかき乱しの仮定を電子の運動について適応した例であ

る。

 

これは我々がどんなに実験を工夫してもそうなのであり、干渉縞に影響を与え

ないように電子の途中の位置を測定することは不可能なのである。つまり任意

の実験において、電子の位置を確定することが不可能なのである。これは我々

がまだ上手い実験の方法を見つけていないということではない。以下の議論を

見れば分かるように、そのような実験が原理的に存在しないということが量子

力学の1つの基礎となっている。これは我々が拠り所とする原理の1つなので

ある。(この辺りの事情は熱力学の第一法則などと同じである。我々は第一種

永久機関が存在しないということを原理として採用する。この原理は熱力学の

理論体系において欠くべからざる基本的な仮定である。確かに、もしかしたら

将来第一種永久機関が作れるかもしれない。その可能性は否定できない。しか

しその時は熱力学は捨て去られる運命にある。熱力学という理論にとっては第

一種永久機関が原理的に存在しないということが重要なのであって、それを前

提としているからである。)

 

ということは、その帰結として、干渉縞を作る電子の軌道という概念には物理

的な意味がないということになる。(もし上手い実験方法があって、かき乱し

無しで電子の位置を確定できるのならば、ちゃんと意味がある。しかしそれで

は上で熱力学の話と一緒に述べたように、量子力学は困るのだ。)なぜならも

し電子の軌道が意味を持つなら、それを観測することが可能でなければならな

いからである。しかし先のかき乱しの仮定によって、そのような軌道を知るた

めに位置を確定するようなことは、(干渉縞に影響を与えないとすれば)不可

能である。したがって電子の軌道という概念を考えても意味がない。つまり、

我々はこの時点で、電子が粒子であるという考えを放棄せねばならない。なぜ

なら、もし電子が本当は粒子であるのならば、その位置をどの瞬間にも、電子

の運動に影響を与えること無く確定するような実験ができなければならないか

らである。それが不可能であるのに、電子が粒子であるとか、電子に軌道があ

るといった所で、意味がない。(検証し得ないことについては語るべきではな

い。)

 

さらに、干渉を起こすからと言って、電子は波だということもできない。なぜ

なら電子は観測されるときには粒子のように振る舞うからである。波のように

電子がぼんやりと観測されるという事はない。つまり、電子は我々が素朴に考

えてきたような粒子でも波でもなく、何か別の、(ある場合には粒子のように、

またある場合は波のように振る舞う)物理的対象なのである。

 

これは重要な認識である。かき乱しの仮定というのは、電子は本当は粒子なの

だけれど、我々の測定には誤差があって粒子であることが確かめられないとい

うことを意味しているのではない。特殊相対性理論以前に、存在が仮定されて

いたエーテルがどんな実験でもその存在を検証できなかったために、その存在

が否定されたのと同じように、かき乱しの仮定によって電子の軌道というもの

は存在を否定されるのである。電子の軌道というのが存在して、それが観測で

きないのではなく、電子の軌道という概念は幻だというのである。そしてその

ことは、電子が粒子ではないということを意味するのである。我々がこれから

量子力学を学んでいく際に、電子、あるいは一般に量子力学的な対象は、その

ようななんだか得体のしれない対象であるのだと認識することは大切なことで

ある。また、このことは、我々が量子力学的な対象についてかき乱しの仮定を

おいたから出てきたのだということは注目に値する。この仮定があるから、電

子が摩訶不思議な性質を持つことになったのである。一般の量子力学的な対象

にとっても、それがもつ性質というのはこのかき乱しの仮定から来ると考えら

れる。

 

今までの議論から明らかになったように、電子の状態を指定するためには何か

古典的な方法とは違う、特別な方法が必要となる。この粒子でも波でもない対

象の状態は、一体どうやって数学的に表現すればいいのだろうか、というのが

我々の問題である。あるいはもっと一般に、観測によってかき乱されるような

量子力学で扱う対象(力学系)の状態はどうやって記述すればいいのだろうか?

Diracに言わせれば、chapter1のsection2の初めのようなことになる。つまり我々

量子力学的な対象の状態というものの性質について、何かかき乱しの仮定以

外にもっと仮定を設けることが必要である。そうして一体どんな数学的対象が

用いられるべきかを明らかにするわけだ。

 

一体どんな仮定を持ち込むのか。これについては先に挙げた電子の干渉実験に

よってヒントを得ることが出来る。さて、我々は電子の干渉を説明するために、

電子が二つの経路を同時に通過したという解釈をする。ここでは電子を粒子だ

と認めたわけではない。実際、本当に粒子であるのならば、二つの経路を同時

に通過することなどできはなしない。電子はそういう「同時に二つの経路を通

過した」などという摩訶不思議な解釈を許すような摩訶不思議な物理的対象だ

ということである。(「本当に」電子が両方の経路を同時に通過したのかどう

かという問には、電子の軌道が存在するのかと問うのと同様に、意味がない。

なぜなら、これを確かめるためにする観測で、やはり電子の運動がかき乱され

てしまうからである。それでももしどちらの経路を通ったのか観測すると、確

かに一方の経路を通ったと確定した時にはもう一方を通ったということにはな

らない。しかしこの場合、干渉縞に影響が出る。これは確かに不思議なことで

ある。一方で電子が観測された時にはもう一方では観測されないというこの実

験事実からは、電子が粒子だという事はほとんど直感的には明らかなのに、量

子力学ではそうではないというのである。あくまでこのように「粒子っぽく」

振る舞う摩訶不思議な対象なのだと言うのである。そしてこの解釈が今の所成

功しているのだから、ミクロな世界というのは不思議なものである。)一方の

経路を通ったという状態をAとしもう一方の経路を通ったという状態をBとすれ

ば、電子の状態はAとBの「重ねあわせ」の状態にあると言う。そして電子は

「自分自身と干渉する」とすることによって、電子の干渉という事実を説明す

る。

 

この「重ね合わせ」という考え方(あるいは解釈の方法と言っても良い)が量

子力学において重要である。我々はこの考え方を、電子だけでなく、一般の量

子力学的対象の状態について成立すると仮定する。つまり、量子力学的対象の

状態というのは、(古典的な状態の)重ね合わせとして実現されていると考える。

(「一体全体重ね合わせられた状態というのはどういう状態なのだろう?」と

不思議に思うのは当然である。しかしそれについて我々が何か上手い像を想像

するという事はできそうにない。何か古典的な概念を用いて強引に説明すれば、

それはある一面では正しいが正確ではなくなってしまう。唯一正確なのは、数

式による記述だけである。)この仮定が上で述べた、状態に対して我々がさら

に仮定する性質である。下で改めて述べるように、この重ね合わせの仮定から、

状態にベクトルを対応させるというアイデアが生まれてくる。

 

またこの仮定から、我々が実験結果について確率的な記述しかできないという

ことが帰結される。なぜなら、重ね合わせの仮説は、量子力学的な対象の状態

というのが、一般に古典的な状態の重ね合わせであり、そのどれもが部分的に

実現されていると考えるので、どの古典的な結果も起こりうる可能性があると

するからである。可能性について議論するためには確率を使うしかないのであ

る。

 

我々はこれから、系の状態の時間発展について考察することになるが、その際

重要な1つの条件は、その運動がかき乱されていないということである。量子

力学的な対象は我々が観測を行なうことによって、その状態がかき乱されてし

まう。確かに、このかき乱しというのも1つの系の時間発展と言う事もできる

が、我々はそれを扱うことはしない。観測によってかき乱されない系の時間発

展を考えることにする。

 

まとめ:我々はまず量子力学で記述されるような対象は、我々の観測によって

状態がかき乱されてしまうようなものだと述べた。これを電子を例にして説明

して、電子が粒子でも波でもない、摩訶不思議な対象であることが分かった。

そういう対象の状態を記述するためにはどんな数学的概念が必要になるのか考

える必要がある。そのための手がかりとして、電子の例をもう一度用いて、か

き乱しの仮定以外に、もう一歩踏み込んで重ね合わせの仮定を導入した。この

仮定によって量子力学が観測結果についての確率的な記述しかできないことを

述べた。最後に、我々が扱う系の時間発展はかき乱されない運動のことである

と条件をつけた。

 

#####状態の数学的形式化(重ね合わせの原理を中心として)#####

 

我々はある瞬間の時刻における量子系の状態についての数学的な形式を明らか

にする所からスタートする。ある瞬間ということだから、系の時間発展につい

てはいささかも考えることはない。量子系の状態が重ね合わせの原理を満足す

るという事から、我々は量子系の状態にベクトルを対応させることにする。つ

まり、アイデアとしてはベクトルの一次結合によって状態の重ね合わせの原理

を表現しようというのである。(ただし一次結合の定数は複素数まで許す。)

この仮定によって量子系の状態にどのような数学的概念を対応させるかという

ことは明らかになった。そして、このことはただ単に量子系の状態を記号に置

き直したということ以上の意味を持つ。つまり数学的な記号操作によって得ら

れる結果から、物理的な状態の重ね合わせの原理についての幾つかの性質につ

いて知ることが出来るのである。(物理理論の数学的な定式化は、単に物事を

記号化かするだけではない(それはただ単に名前をつけたに過ぎない)。数学

の記号操作によって得られる数学的な関係について、それを物理的に翻訳する

ことが可能であることが必要である。これから量子力学の数学的な基礎を構築

してゆくが、物理から数学、数学から物理という両矢印を発展させてゆく。)

例えばRという状態がA,Bという状態の重ね合わせの状態にあるとすれば、(単

純な移項の手続きによって)A(あるいはB)がRとB(あるいはA)との重ね合わ

せの状態であると結論することが出来る。重ね合わせの原理を認めた時は、こ

のような事実(重ね合わせのA,B,Rに対する対称性とでも言える)は仮定しなかっ

た。しかし、今、一旦ベクトルと状態とを結びつけてしまったら、このような

物理的な結論は導かれざるを得ない。そうでなければ、状態にベクトルを対応

させるという事は全く整合性が取れないということになってしまう。

 

次に同じ状態を重ねあわせても、同じ状態になるということを仮定する。つま

りAという状態に対応するケットベクトルのみによる重ねあわせ、一次結合の結

果生じるケットベクトルに対応する系の状態は、再びAという状態に対応してい

るとする。このことから、状態にはベクトルが対応するというよりも、ベクト

ル空間(ベクトル全体を集めた集合といったような意味)の1つの方向が対応

するという方が正確であると分かる。つまり、1つの状態に対応するケットベ

クトルには、定数倍の不定性がある。

 

次にケットベクトル空間上の一次写像を考える。この一次写像をブラベクトル

と呼ぶことにする。このように一次写像をベクトルだとみなすことは、一次写

像全体の空間に和とスカラー倍を入れることが出来ることで正当化される。だ

から一次写像をケットベクトルに作用させることを、ケットベクトルとブラベ

クトルのスカラー積を取ると言っても良い。ブラベクトルとケットベクトルに

ついてDiracの記法を採用すれば、ブラベクトルの定義からブラケット式を作れ

ば、それはただの数となる。